時に組織ってのが、ものすごく嫌になります。その壱。 [おしごと]
久しぶりに仕事ネタです。
今回、しょーもない仕事の愚痴がダラダラ長く続きます。
とにかく、最近、家のことをほったらかしにしがちなツキヒメです。(今に限ったことではない???)
仕事は言い訳にしたくないですが、ホントに時間がない。
みんなどうやって時間のねん出をしているんだろう(?_?)
とにかく今年に入ってから、ますます仕事上の締切に追われる日々が増えてしまって、
かなりバテバテです。
なんか月に何度も締日があると、いつも何かに追われているような、家に帰っても
どこか仕事が気になっている…みたいな状態が続いています。
今の部署の仕事は嫌いではないです。
入社してから15年目。部署としては、実質3か所目ですが、今の仕事内容が一番好き。
それは変わっていません。(参考過去記事→★)
ただ状況が一変したきっかけが、昨年3月。
会社全体のお客様管理システムを1年後新しいものに切り替え稼働させるという、唐突な命令。
(上層部では前々から分かっていたかも知らないけど、少なくとも下っ端職員には「唐突な」話。)
重要になってくるシステムの仕様だって全く検討してないのに、
「社長はスタート年度の数字を間違えているんじゃないのー?」と、各現場は「ギャー」となりました。
開発担当として指名されたのが、担当内で一番ベテランのジェイさん、大阪人さん(生まれも育ちも
九州人だが、大阪をこよなく愛し、自分の故郷は大阪であると断言している。)、宮川さん(宮川大輔に
そっくりな、パソコン精通者)の3人。
3人ともベテランさんなので、配属1年目のツキヒメはどこか気持ち頼っているところがありました。
ところが、その後7月。まさかの内部異動で、ジェイさんがいなくなってしまいました。
じゃあ、代わりに「あえて日が浅い人間の方が、色々と気づくことだってあるのではないか?」という
理由で、ツキヒメにバトンが回ってきたのです
3人の中で、リーダーになっていたのが大阪人さん。仕事熱心な人です。
熱心なのはいいことなのですが、時として同じ目標に向かっていても、皆と違うルートを
取りたがる。「おいおい、そのやり方でいく!?」みたいな(笑)
自分の信念はなかなか曲げてくれないので、結構こちらにかかってくる影響大です。
あと、得意分野は「人と話すこと」な人ですが、悲しいことに、パソコンに疎い。
それってシステム開発リーダーとしてどうよと、内心「なぜこんな任命したのか?」と
最後まで「?」の消えなかったツキヒメです。
もう一人、宮川さんは大阪人さんとは正反対なタイプ。
パソコンにも長けていて、別のシステム開発にも携わったことがある人で、ツキヒメとしては
「システム開発者リーダー」としては、こっちの方が適任なのではないかと思っています。
が、悲しいかな、仕事に熱くない。そういう役にきちんと指名すればするんだろうけど、
「オレ、リーダーじゃないもん」みたいなオーラーを出して、しらーっとしてる。
名指しで質問をぶつけると、すごく的確な答えを返してくれるのですが・・・。
実にもどかしい限りです。
超合理主義者で、無駄な作業は一切無視。面倒なことになりそうだと、静かに席を外している。
「振り向けば奴はいない。」みたいな(笑)
なので、大阪人さんがあれこれ迷走(あえてこー書いちゃう)しだすと、その雑用はすべて
こっちにくるわけで・・・
そして、雑用でちょろちょろしてると、システムのSEさんもツキヒメにあれこれ伝言なり指示なり
言ってくる。首をつっこむと、どんどんメインで話を進める羽目になってくる。
とにかく、この2人の板挟みが非常に疲れました。
今年に入って、システムの本稼働に向けてますますバタバタ
結構大がかりなシステムなんですよお。
こういうのって、普通、現行システムと同時並行で動作確認しながら
不具合とかをつぶして、最終リリース…という運びになるんじゃないんですかね。
何もかもが、ぶっつけ本番で、汗のかきっぱなし
だから、開発期間が短すぎるのよう
開発を委託された、システムのSEさんも、相当なストレスだったと思います。
前々から思っていたけど、どうしてうちの会社は、こう、毎度毎度、計画性がないのかしら。
振り回されることが重なってくると、やり場のない怒りがフツフツとこみあげてきます。
書いていたら、なんか止まらなくなってきた
その弐に続けます。
今回、しょーもない仕事の愚痴がダラダラ長く続きます。
とにかく、最近、家のことをほったらかしにしがちなツキヒメです。(今に限ったことではない???)
仕事は言い訳にしたくないですが、ホントに時間がない。
みんなどうやって時間のねん出をしているんだろう(?_?)
とにかく今年に入ってから、ますます仕事上の締切に追われる日々が増えてしまって、
かなりバテバテです。
なんか月に何度も締日があると、いつも何かに追われているような、家に帰っても
どこか仕事が気になっている…みたいな状態が続いています。
今の部署の仕事は嫌いではないです。
入社してから15年目。部署としては、実質3か所目ですが、今の仕事内容が一番好き。
それは変わっていません。(参考過去記事→★)
ただ状況が一変したきっかけが、昨年3月。
会社全体のお客様管理システムを1年後新しいものに切り替え稼働させるという、唐突な命令。
(上層部では前々から分かっていたかも知らないけど、少なくとも下っ端職員には「唐突な」話。)
重要になってくるシステムの仕様だって全く検討してないのに、
「社長はスタート年度の数字を間違えているんじゃないのー?」と、各現場は「ギャー」となりました。
開発担当として指名されたのが、担当内で一番ベテランのジェイさん、大阪人さん(生まれも育ちも
九州人だが、大阪をこよなく愛し、自分の故郷は大阪であると断言している。)、宮川さん(宮川大輔に
そっくりな、パソコン精通者)の3人。
3人ともベテランさんなので、配属1年目のツキヒメはどこか気持ち頼っているところがありました。
ところが、その後7月。まさかの内部異動で、ジェイさんがいなくなってしまいました。
じゃあ、代わりに「あえて日が浅い人間の方が、色々と気づくことだってあるのではないか?」という
理由で、ツキヒメにバトンが回ってきたのです
3人の中で、リーダーになっていたのが大阪人さん。仕事熱心な人です。
熱心なのはいいことなのですが、時として同じ目標に向かっていても、皆と違うルートを
取りたがる。「おいおい、そのやり方でいく!?」みたいな(笑)
自分の信念はなかなか曲げてくれないので、結構こちらにかかってくる影響大です。
あと、得意分野は「人と話すこと」な人ですが、悲しいことに、パソコンに疎い。
それってシステム開発リーダーとしてどうよと、内心「なぜこんな任命したのか?」と
最後まで「?」の消えなかったツキヒメです。
もう一人、宮川さんは大阪人さんとは正反対なタイプ。
パソコンにも長けていて、別のシステム開発にも携わったことがある人で、ツキヒメとしては
「システム開発者リーダー」としては、こっちの方が適任なのではないかと思っています。
が、悲しいかな、仕事に熱くない。そういう役にきちんと指名すればするんだろうけど、
「オレ、リーダーじゃないもん」みたいなオーラーを出して、しらーっとしてる。
名指しで質問をぶつけると、すごく的確な答えを返してくれるのですが・・・。
実にもどかしい限りです。
超合理主義者で、無駄な作業は一切無視。面倒なことになりそうだと、静かに席を外している。
「振り向けば奴はいない。」みたいな(笑)
なので、大阪人さんがあれこれ迷走(あえてこー書いちゃう)しだすと、その雑用はすべて
こっちにくるわけで・・・
そして、雑用でちょろちょろしてると、システムのSEさんもツキヒメにあれこれ伝言なり指示なり
言ってくる。首をつっこむと、どんどんメインで話を進める羽目になってくる。
とにかく、この2人の板挟みが非常に疲れました。
今年に入って、システムの本稼働に向けてますますバタバタ
結構大がかりなシステムなんですよお。
こういうのって、普通、現行システムと同時並行で動作確認しながら
不具合とかをつぶして、最終リリース…という運びになるんじゃないんですかね。
何もかもが、ぶっつけ本番で、汗のかきっぱなし
だから、開発期間が短すぎるのよう
開発を委託された、システムのSEさんも、相当なストレスだったと思います。
前々から思っていたけど、どうしてうちの会社は、こう、毎度毎度、計画性がないのかしら。
振り回されることが重なってくると、やり場のない怒りがフツフツとこみあげてきます。
書いていたら、なんか止まらなくなってきた
その弐に続けます。
かかるならお早めにとは言われますが… [いとしの殿下&姫君]
学校で流行ってるわけでもなかったので・・・・
地区のどんどやきの際にもらってきたか・・・
大賑わいだった福岡モーターショーで吸い込んできたのか・・・
今月に入ってから、殿下が高熱でぶったおれておりました。
「(ぜんそく持ちのボーズに)インフルエンザがきたかー!???」と
あわてて小児科へ。。。
「立派にほっぺたが腫れていますね。 お母さん、坊ちゃんは、おたふく風邪です。」
へ?あ、おたふくね。
インフルエンザじゃなくて、よかったよかった。
と、思っていたのですよ。
だって、おたふく風邪って、子どものかかるオーソドックスな病気と思っていたので。
かかるなら早目がいいので、よかったな~とも。
ところが、(やっぱり)そんなに現実は甘くなかった。
あれよ、あれよで膨れる膨れる
いやあ「おたふく」とは、よくネーミングしたものです。
そして、熱が高い、高い。
解熱剤を使っても、ろくにさがらず、毎日毎日39度後半ばかり、解熱剤が切れると40度に
なることもしばしば。
そして腫れがひどいために、半端じゃなく頭を痛がる。
「頭が、頭がああー!」と泣かれると、母、オロオロです。
あまり続いたので小児科の先生も「軽く髄膜炎になってるかもしれませんね。」
ず、ず、ず、ずいまくうっっ!!!
またまたとなっている母に、
「髄膜炎といってもウイルス性のものと細菌性のものとあって、おたふくが原因の髄膜炎でしたら
後遺症の心配もありませんよ。そんなに心配しないでください。ひどい場合なら、子どもはこんな
表情をしてません。」
検査してみて…と思ったのですが、髄膜炎の検査ってけっこう大がかりで、よほどでない限り
行わないとのこと。
おたふくに効く薬もなく、とにかく熱が下がって腫れがひくのをじっと待つのみとのことでした。
おたふくとは、このような病気だったのか・・・
結局、学校も10日休み、ツキヒメもダンナも代わりばんこで仕事も休み・・・で
なんとかかんとか、登校するまでになりました。
7歳児でもこんなだったのだから、成人してから発症していたら・・・と思うと
影響も含めてとなってしまいます。
いやあ、健康が一番です。あらためて実感しました。
※おまけ※
こちらの方は、早々とインフルエンザ(A型)もかかり、
しっかり40度の熱も出し
しっかり熱性けいれんも起こし
母の有休を2日奪いました。
(けいれんまで起こしたのに…救急車まで呼んだのに…
ブログではこんな小さな扱い。さすが第2子)
地区のどんどやきの際にもらってきたか・・・
大賑わいだった福岡モーターショーで吸い込んできたのか・・・
今月に入ってから、殿下が高熱でぶったおれておりました。
「(ぜんそく持ちのボーズに)インフルエンザがきたかー!???」と
あわてて小児科へ。。。
「立派にほっぺたが腫れていますね。 お母さん、坊ちゃんは、おたふく風邪です。」
へ?あ、おたふくね。
インフルエンザじゃなくて、よかったよかった。
と、思っていたのですよ。
だって、おたふく風邪って、子どものかかるオーソドックスな病気と思っていたので。
かかるなら早目がいいので、よかったな~とも。
ところが、(やっぱり)そんなに現実は甘くなかった。
あれよ、あれよで膨れる膨れる
いやあ「おたふく」とは、よくネーミングしたものです。
そして、熱が高い、高い。
解熱剤を使っても、ろくにさがらず、毎日毎日39度後半ばかり、解熱剤が切れると40度に
なることもしばしば。
そして腫れがひどいために、半端じゃなく頭を痛がる。
「頭が、頭がああー!」と泣かれると、母、オロオロです。
あまり続いたので小児科の先生も「軽く髄膜炎になってるかもしれませんね。」
ず、ず、ず、ずいまくうっっ!!!
またまたとなっている母に、
「髄膜炎といってもウイルス性のものと細菌性のものとあって、おたふくが原因の髄膜炎でしたら
後遺症の心配もありませんよ。そんなに心配しないでください。ひどい場合なら、子どもはこんな
表情をしてません。」
検査してみて…と思ったのですが、髄膜炎の検査ってけっこう大がかりで、よほどでない限り
行わないとのこと。
おたふくに効く薬もなく、とにかく熱が下がって腫れがひくのをじっと待つのみとのことでした。
おたふくとは、このような病気だったのか・・・
結局、学校も10日休み、ツキヒメもダンナも代わりばんこで仕事も休み・・・で
なんとかかんとか、登校するまでになりました。
7歳児でもこんなだったのだから、成人してから発症していたら・・・と思うと
影響も含めてとなってしまいます。
いやあ、健康が一番です。あらためて実感しました。
※おまけ※
こちらの方は、早々とインフルエンザ(A型)もかかり、
しっかり40度の熱も出し
しっかり熱性けいれんも起こし
母の有休を2日奪いました。
(けいれんまで起こしたのに…救急車まで呼んだのに…
ブログではこんな小さな扱い。さすが第2子)
ご近所新年会 [徒然雑記]
2週間ほど前になりますが…^^;
毎年恒例になっている、ご近所さんたちとの新年会をしました。
今回3回目。
いつも部屋を提供してくれるのは、ツキヒメ家のお隣のJさん。
こういうホームパーティーが大好きなJさん一家。
オリジナルのゲームとか考えて、盛り上げてくれます。
Jさん家のおかげで、独身時代に自分の中になかった文化というか、
新たな楽しみを教えてもらったツキヒメです。
(元来ツキヒメは一匹狼ゆえ、こういうパーティーは苦手でした^^;)
いつも4家族で集まるのですが、今回は1家族はインフルエンザのため欠席。
残念でしたが仕方ありません。
それでも3家族。大人6人、こども6人。ギャーギャーです
あと、いつも料理は各家族持ち寄りなところ、今年は急きょ人数も減り、そして
Jさんもツキヒメも仕事が忙しくて、中華料理屋さんの鉢盛を取りました。
そんななか、いつもとてもおいしい料理を作ってきてくれるチェリーちゃんママ。
今回も「いや、全然何も作ってきてなくて…」と言いつつも、マイフライパンを持参して、
熱々の餃子をごちそうしてくれました。
デザートのレアチーズケーキも美味。料理上手っていいなあ…(羨)
食事がひと段落すんだら、子どもたちにプレゼントが出てきました
いただきもののハワイのお土産らしいです。かわいい
ジェンガ。初めて遊びました。
崩さないように、崩さないように…。
大人も子どもも真剣です。
春休みには、旦那の実家へ里帰りすると話していたJさん。
といっても、Jさん家の旦那様はイギリス人。
里帰りといっても、そうそう簡単なことではありません。
せっかくヨーロッパ方面に行くのだから、どっか寄り道をして帰ろうかななーんて
話していました。
う、う、羨まし過ぎる。。。
↑と、のん気に騒いでましたら、J奥様、
「勤務スケジュールの調整やら、旅費やらで、頭くらくらきそう。」だと、
現実的な悩みをぼやいておられました。(奥様は夜勤もある看護婦さんです)
うう、それでも、羨ましい・・・。
毎年恒例になっている、ご近所さんたちとの新年会をしました。
今回3回目。
いつも部屋を提供してくれるのは、ツキヒメ家のお隣のJさん。
こういうホームパーティーが大好きなJさん一家。
オリジナルのゲームとか考えて、盛り上げてくれます。
Jさん家のおかげで、独身時代に自分の中になかった文化というか、
新たな楽しみを教えてもらったツキヒメです。
(元来ツキヒメは一匹狼ゆえ、こういうパーティーは苦手でした^^;)
いつも4家族で集まるのですが、今回は1家族はインフルエンザのため欠席。
残念でしたが仕方ありません。
それでも3家族。大人6人、こども6人。ギャーギャーです
あと、いつも料理は各家族持ち寄りなところ、今年は急きょ人数も減り、そして
Jさんもツキヒメも仕事が忙しくて、中華料理屋さんの鉢盛を取りました。
そんななか、いつもとてもおいしい料理を作ってきてくれるチェリーちゃんママ。
今回も「いや、全然何も作ってきてなくて…」と言いつつも、マイフライパンを持参して、
熱々の餃子をごちそうしてくれました。
デザートのレアチーズケーキも美味。料理上手っていいなあ…(羨)
食事がひと段落すんだら、子どもたちにプレゼントが出てきました
いただきもののハワイのお土産らしいです。かわいい
ジェンガ。初めて遊びました。
崩さないように、崩さないように…。
大人も子どもも真剣です。
春休みには、旦那の実家へ里帰りすると話していたJさん。
といっても、Jさん家の旦那様はイギリス人。
里帰りといっても、そうそう簡単なことではありません。
せっかくヨーロッパ方面に行くのだから、どっか寄り道をして帰ろうかななーんて
話していました。
う、う、羨まし過ぎる。。。
↑と、のん気に騒いでましたら、J奥様、
「勤務スケジュールの調整やら、旅費やらで、頭くらくらきそう。」だと、
現実的な悩みをぼやいておられました。(奥様は夜勤もある看護婦さんです)
うう、それでも、羨ましい・・・。
初名古屋&伊勢 [おでかけ]
これまた1か月以上前の話ですが、義母も一緒に2泊3日旅行をしてきました。
行き先は、名古屋&伊勢神宮。愛知には、ダンナの2人の妹達がいます。
途中で、妹家族とも合流しての旅行。義母もとても楽しみにしてました
ツキヒメも初めて行くところばかり。
それに今回の旅行は、妹のサマーちゃん夫婦の全面プロデュースによるもの。
宿も食事処もすべて手配してもらって、感謝感謝です
以下、写真ばっかりです。
お初に降り立つセントレア空港。きれいでした^^
空港内の食事処で腹ごしらえ。まるは食堂のエビフライ大きいです
翌日、サマーちゃんのダンナ、ドラゴンさんがレンタカーでホテルまでお迎え
名古屋限定??でら珈琲。金のしゃちほこが描いてある。初めて見た
この日は残念ながら、天気はよろしくない。
2日目に考えていた伊勢神宮は3日目に変更。
今日は子供向けに水族館。
でも、その前に・・・
ひつまぶし~
1時間待ちと言われたので、その間に熱田神社へ。
でも気持ちは、ひつまぶし(ばちあたり・・・)
そのまま食べたり、お茶漬けにしたり・・・。
がっつく姫君
午後からは、名古屋港水族館。
港内に泊まる南極観測船ふじ。
強面。
きれいだなあ・・・。
館内は広く、2時間近くいました。
その後は、宿泊先の鳥羽へ。(ドラゴンさん、運転お疲れ様でした)
宿へ行く前に、腹ごしらえ。(食べてばかり)
「伊勢⇒エビ」
九州人には、この図式しか思い浮かびません。
写真とか撮ってる間に、あれよあれよとなくなりました。
姑、小姑、姑の孫3人等々の構成人のなかで、「全部食うな!残しておけ~!」と強気で言えない嫁。
いいの、息子が満足してくれたから・・・
「え~?もうないの?」って、オメーが一番喰ってるだろうが!
あ、もちろんツキヒメもがっつり食べましたよ。当然
大阪屋さん、ごちそうさまでした
翌日、天気晴れ
今日は元旦か?と思うほどの参拝者。
さすが、伊勢神宮
背筋がしゃんと伸びるような、そんなスポット。
おかげ横丁もかなり気に入りました
ゆっくりゆっくり散策したい通りです!
ここを目的に、また来たい(すみません。あまり信心深くないコメントで)
一番の目的地、赤福。
お土産で食べるのも美味しいですが、やはりその場で食べるのも、また・・・
おしるこも、甘くて甘くて、ずずずーっとすすると、笑顔になります
横丁サイダー。
炭酸が苦手な殿下。
まあ、そう言わずに。(姫君)
飲んでみなさいよ。(リトルサマーちゃん)
「・・・ん?美味しい・・・かも?」
アレコレ食べ歩きばっかりして、すっかりお腹もふくれてしまいました。
飛行機の時間は決まっていたので、あわてて名古屋へっ
今回の旅は、ホントにグルメ旅行。
名古屋周辺は、美味しいものがたくさんありますね。
満足、満足
これだから、旅行はやめられない・・・
行き先は、名古屋&伊勢神宮。愛知には、ダンナの2人の妹達がいます。
途中で、妹家族とも合流しての旅行。義母もとても楽しみにしてました
ツキヒメも初めて行くところばかり。
それに今回の旅行は、妹のサマーちゃん夫婦の全面プロデュースによるもの。
宿も食事処もすべて手配してもらって、感謝感謝です
以下、写真ばっかりです。
お初に降り立つセントレア空港。きれいでした^^
空港内の食事処で腹ごしらえ。まるは食堂のエビフライ大きいです
翌日、サマーちゃんのダンナ、ドラゴンさんがレンタカーでホテルまでお迎え
名古屋限定??でら珈琲。金のしゃちほこが描いてある。初めて見た
この日は残念ながら、天気はよろしくない。
2日目に考えていた伊勢神宮は3日目に変更。
今日は子供向けに水族館。
でも、その前に・・・
ひつまぶし~
1時間待ちと言われたので、その間に熱田神社へ。
でも気持ちは、ひつまぶし(ばちあたり・・・)
そのまま食べたり、お茶漬けにしたり・・・。
がっつく姫君
午後からは、名古屋港水族館。
港内に泊まる南極観測船ふじ。
強面。
きれいだなあ・・・。
館内は広く、2時間近くいました。
その後は、宿泊先の鳥羽へ。(ドラゴンさん、運転お疲れ様でした)
宿へ行く前に、腹ごしらえ。(食べてばかり)
「伊勢⇒エビ」
九州人には、この図式しか思い浮かびません。
写真とか撮ってる間に、あれよあれよとなくなりました。
姑、小姑、姑の孫3人等々の構成人のなかで、「全部食うな!残しておけ~!」と強気で言えない嫁。
いいの、息子が満足してくれたから・・・
「え~?もうないの?」って、オメーが一番喰ってるだろうが!
あ、もちろんツキヒメもがっつり食べましたよ。当然
大阪屋さん、ごちそうさまでした
翌日、天気晴れ
今日は元旦か?と思うほどの参拝者。
さすが、伊勢神宮
背筋がしゃんと伸びるような、そんなスポット。
おかげ横丁もかなり気に入りました
ゆっくりゆっくり散策したい通りです!
ここを目的に、また来たい(すみません。あまり信心深くないコメントで)
一番の目的地、赤福。
お土産で食べるのも美味しいですが、やはりその場で食べるのも、また・・・
おしるこも、甘くて甘くて、ずずずーっとすすると、笑顔になります
横丁サイダー。
炭酸が苦手な殿下。
まあ、そう言わずに。(姫君)
飲んでみなさいよ。(リトルサマーちゃん)
「・・・ん?美味しい・・・かも?」
アレコレ食べ歩きばっかりして、すっかりお腹もふくれてしまいました。
飛行機の時間は決まっていたので、あわてて名古屋へっ
今回の旅は、ホントにグルメ旅行。
名古屋周辺は、美味しいものがたくさんありますね。
満足、満足
これだから、旅行はやめられない・・・
保護者の反乱。秋の陣。 [いとしの殿下&姫君]
前回の続きです。
すったもんだありましたが、姫君のメガネ生活もなんとか軌道に乗りはじめ、
運動会も無事に終了し、またもとの落ち着いた生活を取り戻しつつあった、とある午後。
ツキヒメはお仕事をしてました。
すると「ツキヒメさん、お客さんですよ~」と同僚の声で顔を上げると、
カウンター越しに知っている顔が。。。
客人は、姫君と同じクラスの子のお母さんのハイさん。
上のお子さんが殿下と同じクラスだったこともあり、ハイさんとも実質お付き合い3年目。
3年目ではありますが、あまりお母さん同士の関係は密ではないので、そこまで深くは
おしゃべりはしたことはありません。
そして、ハイさんもツキヒメも、担任K先生との関係は3年目突入。
「お仕事中に、ホントにすみません。」とペコと頭を下げられ、あわててツキヒメもペコペコ。
通路脇の椅子をすすめ、話をし始め・・・。
「ツキヒメさんとこも3年目だし、話せるかなと思って、ご迷惑と承知で押しかけてきちゃいました。
今年は役員もしてらっしゃるし、お話を聞いてもらおうと思って・・・。」
(保育園の方でも、ツキヒメ家はダンナが副会長にならされてなっております。)
「・・・。」
「ツキヒメさんは、K先生のことをどう思ってますか?」
「・・・」
いやあ、噴き出す、噴き出す
ツキヒメは、K先生に対するうっぷんは、姫君の担任になってからだったのですが、
聞けばハイさんは、3年前からずっと・・・らしい。
ハイさんいわく、同じように不満を抱く親は他にもいるらしい。
去年(殿下が年長の時)は、卒園時にK先生を囲んでの謝礼会で、和気あいあいと盛り上がってたのに、
その実は、こんなに不満ドロドロな世界があったなんて・・・
・・・オンナって怖い
「もう、私、文句をぶちまけてしまいそうで・・・。でもそうなると、子どもへの風当たりも怖くて。
どうしたらいいのか・・・。」
ツキヒメも(程度の差こそあれ)不満はあったので、気持ちは理解できました。
「とりあえず冷静に作戦を練りましょう。」と言って、その場はお帰りいただき、夜、さっそくダンナに報告。
ダンナはおもっきりひいてましたが、なまじっか副会長なんて肩書きももらっちゃってますので
知らんぷりもできず、ハイさん襲来の翌日の夜、ツキヒメとともにハイさん宅へ。
ハイさん家に行くと、ハイさんの隣に住むフィールドさんの奥さんも来てました。
(フィールドさんも、同様にK先生とは3年目のお付き合い。そしてご主人は昨年の保護者会会長。)
いやあ、4人で話す話す。
何を話したかよく分からないような時間が過ぎ、とりあえず場所を変えてきちんと話し合おう。
お題は、「保護者のこの気持ち、どう保育園(K先生)に伝えるか?」
フィールドさん盛り上がって、「私、公民館の会議室予約しておきますっ!!!」
おいおいおい・・・
周りが盛り上がってくれたために、ツキヒメ自体は怒りは静まりつつあったのですが
(こういう時って、怒りの感情は反比例しますね)ここまでくると、事も大きくなり、後戻りもできず・・・。
数日後、指定された日時に公民館へ。
なんか…新撰組の目を盗んで、倒幕を企てる攘夷の集団のようです(笑)
会議室には、ハイさん、フィールドさん(夫妻)の外に、うさぎさん(夫妻)、クローバーさん
そしてツキヒメ夫婦の合計8人の大人。
「はい、これ、今日のレジュメです。」とニコニコとプリントを渡してくるフィールドさん。
もう気合い入りまくりですf(^^;)
平日の夜なんで、子守りが確保できなかった家庭は、子連れで参加。
もうワーワー、ギャーギャーです。
楽しく遊ぶ子ども達同室で、保育園への苦情直訴の作戦を練る親たち。
なんかシュールで、けしていい風景ではありません
●先生から洋服をからかわれたために(多分当の先生はそんなつもりじゃないと思う)
お気に入りだった洋服を着ていかなくなった。
●ケンカした両方に非があるのに、うちの子だけ一方的におこられた。
●うそつきよばわりされた。・・・・等々。
なんか一つ一つはたいしたことないけど、関係がよくないとすべてがつっかかるというか・・・。
もちろん、うちの持ちネタ(?)は前回書いたメガネの話でした。
とにかく、保育園(K先生)に伝えたいことは、
・園からの連絡が、お帰りの時に対応する先生でまちまち。
当然親の認識のバラバラで、結果、子どもがK先生に小言を言われている。
・家庭に注文があるなら、親に直接言ってほしい。
・(K)先生に非がある場合でも、先生はそれを絶対に認めない。
・担任と保護者との意見を交換できる場を提供してほしい。 などなど。
なんか、みんな顔が険しくて、自分の意見一つ一つが相手にどう伝わるのかどう受け取られるか
見えない部分もあり、非常に神経を使った会合でした。言葉ってホントに怖い。
とにかく、ばらばらワーワー言ってても仕方がないので、後日ツキヒメ夫婦が保育園に行き
園長先生に話をしてくるということになりました。
*********
後日、二人して保育園へ。
対応してくれたのは、園長と保育主任の先生。
K先生はいませんでした。(ほっとしたというか、なんと言うか・・・。)
話の中では、個人名は一切言わず淡々と意見を言いました。
(とはいっても、年中組の保護者が、平日の昼に時間休取ってやってきているのだから、
ターゲットがK先生ということは、皆分かっているところです。)
園長としては、自分の娘が言われているのだから複雑だったでしょうが、冷静に対応してくれました。
*********
1ヵ月後。
保育園の対応はすばやく、プリント配布やら懇談会開催やら、いろいろな「答え」が返ってきました。
しばらくはK先生との関係もぎこちなかったのですが、今では随分元通りになってきました。
(連動して、カチカチくる言葉も戻りつつありますが、まあ許容範囲です(笑))
まあ、なんにしても、ハイさんの表情は明るくなり、腹を割って話し合ったため、お迎えが重なった時も、
ニコニコと会話を交わすようになりました。(以前は挨拶程度しか交わさなかった。)
園長先生からも、「意見があればどんどん教えてください。中にいると分からないことも多いので。」と
言ってもらい、園との関係を崩すことなく、一応解決したのでほっとしてます。
この先時間がたつと、また問題は再燃焼してきそうですが、とりあえずはメデタシメデタシ
保護者は怖い。預ける側と関係がこじれると、危険きわまりない。
そして、保護者間の関係も細心の注意を払う必要がある。
↑
今回のことで、あらためてツキヒメが学んだことです
すったもんだありましたが、姫君のメガネ生活もなんとか軌道に乗りはじめ、
運動会も無事に終了し、またもとの落ち着いた生活を取り戻しつつあった、とある午後。
ツキヒメはお仕事をしてました。
すると「ツキヒメさん、お客さんですよ~」と同僚の声で顔を上げると、
カウンター越しに知っている顔が。。。
客人は、姫君と同じクラスの子のお母さんのハイさん。
上のお子さんが殿下と同じクラスだったこともあり、ハイさんとも実質お付き合い3年目。
3年目ではありますが、あまりお母さん同士の関係は密ではないので、そこまで深くは
おしゃべりはしたことはありません。
そして、ハイさんもツキヒメも、担任K先生との関係は3年目突入。
「お仕事中に、ホントにすみません。」とペコと頭を下げられ、あわててツキヒメもペコペコ。
通路脇の椅子をすすめ、話をし始め・・・。
「ツキヒメさんとこも3年目だし、話せるかなと思って、ご迷惑と承知で押しかけてきちゃいました。
今年は役員もしてらっしゃるし、お話を聞いてもらおうと思って・・・。」
(保育園の方でも、ツキヒメ家はダンナが副会長に
「・・・。」
「ツキヒメさんは、K先生のことをどう思ってますか?」
「・・・」
いやあ、噴き出す、噴き出す
ツキヒメは、K先生に対するうっぷんは、姫君の担任になってからだったのですが、
聞けばハイさんは、3年前からずっと・・・らしい。
ハイさんいわく、同じように不満を抱く親は他にもいるらしい。
去年(殿下が年長の時)は、卒園時にK先生を囲んでの謝礼会で、和気あいあいと盛り上がってたのに、
その実は、こんなに不満ドロドロな世界があったなんて・・・
・・・オンナって怖い
「もう、私、文句をぶちまけてしまいそうで・・・。でもそうなると、子どもへの風当たりも怖くて。
どうしたらいいのか・・・。」
ツキヒメも(程度の差こそあれ)不満はあったので、気持ちは理解できました。
「とりあえず冷静に作戦を練りましょう。」と言って、その場はお帰りいただき、夜、さっそくダンナに報告。
ダンナはおもっきりひいてましたが、なまじっか副会長なんて肩書きももらっちゃってますので
知らんぷりもできず、ハイさん襲来の翌日の夜、ツキヒメとともにハイさん宅へ。
ハイさん家に行くと、ハイさんの隣に住むフィールドさんの奥さんも来てました。
(フィールドさんも、同様にK先生とは3年目のお付き合い。そしてご主人は昨年の保護者会会長。)
いやあ、4人で話す話す。
何を話したかよく分からないような時間が過ぎ、とりあえず場所を変えてきちんと話し合おう。
お題は、「保護者のこの気持ち、どう保育園(K先生)に伝えるか?」
フィールドさん盛り上がって、「私、公民館の会議室予約しておきますっ!!!」
おいおいおい・・・
周りが盛り上がってくれたために、ツキヒメ自体は怒りは静まりつつあったのですが
(こういう時って、怒りの感情は反比例しますね)ここまでくると、事も大きくなり、後戻りもできず・・・。
数日後、指定された日時に公民館へ。
なんか…新撰組の目を盗んで、倒幕を企てる攘夷の集団のようです(笑)
会議室には、ハイさん、フィールドさん(夫妻)の外に、うさぎさん(夫妻)、クローバーさん
そしてツキヒメ夫婦の合計8人の大人。
「はい、これ、今日のレジュメです。」とニコニコとプリントを渡してくるフィールドさん。
もう気合い入りまくりですf(^^;)
平日の夜なんで、子守りが確保できなかった家庭は、子連れで参加。
もうワーワー、ギャーギャーです。
楽しく遊ぶ子ども達同室で、保育園への苦情直訴の作戦を練る親たち。
なんかシュールで、けしていい風景ではありません
●先生から洋服をからかわれたために(多分当の先生はそんなつもりじゃないと思う)
お気に入りだった洋服を着ていかなくなった。
●ケンカした両方に非があるのに、うちの子だけ一方的におこられた。
●うそつきよばわりされた。・・・・等々。
なんか一つ一つはたいしたことないけど、関係がよくないとすべてがつっかかるというか・・・。
もちろん、うちの持ちネタ(?)は前回書いたメガネの話でした。
とにかく、保育園(K先生)に伝えたいことは、
・園からの連絡が、お帰りの時に対応する先生でまちまち。
当然親の認識のバラバラで、結果、子どもがK先生に小言を言われている。
・家庭に注文があるなら、親に直接言ってほしい。
・(K)先生に非がある場合でも、先生はそれを絶対に認めない。
・担任と保護者との意見を交換できる場を提供してほしい。 などなど。
なんか、みんな顔が険しくて、自分の意見一つ一つが相手にどう伝わるのかどう受け取られるか
見えない部分もあり、非常に神経を使った会合でした。言葉ってホントに怖い。
とにかく、ばらばらワーワー言ってても仕方がないので、後日ツキヒメ夫婦が保育園に行き
園長先生に話をしてくるということになりました。
*********
後日、二人して保育園へ。
対応してくれたのは、園長と保育主任の先生。
K先生はいませんでした。(ほっとしたというか、なんと言うか・・・。)
話の中では、個人名は一切言わず淡々と意見を言いました。
(とはいっても、年中組の保護者が、平日の昼に時間休取ってやってきているのだから、
ターゲットがK先生ということは、皆分かっているところです。)
園長としては、自分の娘が言われているのだから複雑だったでしょうが、冷静に対応してくれました。
*********
1ヵ月後。
保育園の対応はすばやく、プリント配布やら懇談会開催やら、いろいろな「答え」が返ってきました。
しばらくはK先生との関係もぎこちなかったのですが、今では随分元通りになってきました。
(連動して、カチカチくる言葉も戻りつつありますが、まあ許容範囲です(笑))
まあ、なんにしても、ハイさんの表情は明るくなり、腹を割って話し合ったため、お迎えが重なった時も、
ニコニコと会話を交わすようになりました。(以前は挨拶程度しか交わさなかった。)
園長先生からも、「意見があればどんどん教えてください。中にいると分からないことも多いので。」と
言ってもらい、園との関係を崩すことなく、一応解決したのでほっとしてます。
この先時間がたつと、また問題は再燃焼してきそうですが、とりあえずはメデタシメデタシ
保護者は怖い。預ける側と関係がこじれると、危険きわまりない。
そして、保護者間の関係も細心の注意を払う必要がある。
↑
今回のことで、あらためてツキヒメが学んだことです
保護者の反乱。きっかけ。ツキヒメの場合。 [いとしの殿下&姫君]
弱視の治療用メガネは、姫君の視力を発達させるというもので、
起きている間は極力メガネをかけて過ごす必要があります。
となると、当然通っている保育園の理解と協力が必要不可欠でして・・・。
こんなして書くとオーバーに聞こえますかね。
通わせているこちらとしては、ただ「メガネをかけた」だけで、
今までと全く変わりない気持ちでいたので、あまり深くは考えていなかったのですが、
受け入れ側の姫君の担任の先生はそうではなかった…(汗)
弱視の診断を受け、さっそくメガネの手配をし、その足で保育園にむかい
「今後、メガネをかけて登園させることになりますが・・・。」と担任のK先生に報告をしに行った
ツキヒメ。
私としてみれば、(自分もかけている)メガネなんて、そんなに特殊なものという認識は
なかったのですが、K先生はそうではなかった。
みるみる顔に緊張がはしり、
「分かりました、姫ちゃんには絵本の読みきかせの時間も極力前に来るように声掛けしますね。」だとか
「こどもたちにも、姫ちゃんは目が見えないんだから注意して遊んでね、と言って聞かせます。」だとか
「保育園でメガネで過ごすのって大丈夫なんですかね。他のおともだちとぶつかってケガでもしたら・・・。
姫ちゃんばかりを見ているわけではありませんし。」だとか
「運動会の練習では激しい動きもあります。そんな時はメガネを外してもいいですか?」だとか・・・
いや、うちの子は目が見えないわけじゃないし、
そんな特別視を望んでるわけでもないし、
子どものメガネは頑丈にできてるってメガネ屋さん言ってるし、
頻繁に外しちゃうと治療の効果が思うように出ないかもしれないし・・・
なんか、こっちも診断受けたばかりで、すごくナーバスになっていたところに、こう言われると
先生の言葉がとても冷たく聞こえてしまいました。
K先生もメガネをかけた子を預かった経験はほとんどないと話してたので、
その不安もあったのでしょうけど・・・。
でも、そんなにメガネって特別な装具ですか???
この担任のK先生。御年ツキヒメより2つ上。
けして新米ではなく、むしろ保育園の中ではベテラングループに属しており、
園長先生の実娘だったりします(^^;)
殿下も年中、年長とお世話になり、ツキヒメとの付き合いは3年目。
殿下との相性もよく、去年、一昨年とまったくストレスない関係を築いてきてたのですが
どうも姫君とは相性がイマイチ(?)でして、今年に入ってツキヒメの方もだんだんK先生に対して
「?」な部分が増えてきていました。
そんなところに、さらにこう言われて、ますます気持ちが離れていくのを感じました。
「すみません、ご迷惑をおかけします。」と話しながらも、
今まで何にもなかったのに、なんだか一気に自分の娘が「手のかかる子」の烙印を
押されたような気がして、すごく悲しい気持ちになりました。
「とにかく、(メガネを固定する)バンドを・・・、すぐにバンドを用意してください!」とK先生。
※バンドってこういうのです→★
いや、すぐに買いに行けといわれても、こっちも仕事もあるし週末まで待って・・・という気持ちあり
翌日メガネだけで登園させたら、「お母さん、姫ちゃんバンドをしてませんね。
お願いしますと、昨日お話しましたよね!」と朝から職場にまで電話がかかってくる始末。
その日お迎えに行った時も、「運動会の練習をさせる時も(そのころ練習が大詰めでした)
やっぱり見ててハラハラするんですよね。練習の時間は外させてもらっていいですか?」だとか。
「いや、バンドは至急探してきますが、メガネを外していいかどうかは病院の方にも確認を
取らせてください。」と食い下がりつつも、「これってやっぱ個人のワガママなのか。集団生活を
送らせるには、我慢も必要なのか・・・」とちょっと弱気に・・・。
いや、姫君には最善の、そして最短の治療をさせねばーーー!
「バンドは今、在庫がなくて・・・」とか「子どものメガネは耳にかける部分も、鼻にあたる部分も
工夫されているので、バンドにこだわらなくても少々の運動は大丈夫ですよ。」とメガネやさんに
言われつつも、バンドを持たせないと、先生が姫君にチクチク小言を言いやしないかと
妙な強迫観念が頭を回り、店をハシゴし、病院にも相談し・・・
なんかヨレヨレ~になってしまったツキヒメでした。
病院で、姫君を担当してくれている視能訓練士さんからは「いや、極力メガネで過ごす時間は
作ってあげてください。何でしたら、私から保育園の先生に話してみましょうか?」と言ってもらい
すごくありがたく感じつつも、これは切り札で取っといた方がいいと考え、「もう一度私から
先生には話してみます。バンド装着で園生活が軌道にのってきたら、先生も少しは慣れてくるかも
しれませんし・・・。」と丁重に断り、再度担任の先生に切々と事情を話し、何とか理解して(???)
もらいました。
保育園の他の先生やクラスの友達からは「姫ちゃん、ピンクのメガネがキュートですね。」
「似合ってますね、かわいい」と言ってもらい、姫君本人は「○○ちゃんからかわいいって言われた~」と
にこやかにメガネでの登園を続けてくれることが救いでした。
でも、K先生に対する猜疑心は消えたわけではなく、
こどもたちに悟られないように、K先生に対する愚痴を、ダンナにブツブツ言う日々が続きました。
そんなある日・・・
(つづく)
起きている間は極力メガネをかけて過ごす必要があります。
となると、当然通っている保育園の理解と協力が必要不可欠でして・・・。
こんなして書くとオーバーに聞こえますかね。
通わせているこちらとしては、ただ「メガネをかけた」だけで、
今までと全く変わりない気持ちでいたので、あまり深くは考えていなかったのですが、
受け入れ側の姫君の担任の先生はそうではなかった…(汗)
弱視の診断を受け、さっそくメガネの手配をし、その足で保育園にむかい
「今後、メガネをかけて登園させることになりますが・・・。」と担任のK先生に報告をしに行った
ツキヒメ。
私としてみれば、(自分もかけている)メガネなんて、そんなに特殊なものという認識は
なかったのですが、K先生はそうではなかった。
みるみる顔に緊張がはしり、
「分かりました、姫ちゃんには絵本の読みきかせの時間も極力前に来るように声掛けしますね。」だとか
「こどもたちにも、姫ちゃんは目が見えないんだから注意して遊んでね、と言って聞かせます。」だとか
「保育園でメガネで過ごすのって大丈夫なんですかね。他のおともだちとぶつかってケガでもしたら・・・。
姫ちゃんばかりを見ているわけではありませんし。」だとか
「運動会の練習では激しい動きもあります。そんな時はメガネを外してもいいですか?」だとか・・・
いや、うちの子は目が見えないわけじゃないし、
そんな特別視を望んでるわけでもないし、
子どものメガネは頑丈にできてるってメガネ屋さん言ってるし、
頻繁に外しちゃうと治療の効果が思うように出ないかもしれないし・・・
なんか、こっちも診断受けたばかりで、すごくナーバスになっていたところに、こう言われると
先生の言葉がとても冷たく聞こえてしまいました。
K先生もメガネをかけた子を預かった経験はほとんどないと話してたので、
その不安もあったのでしょうけど・・・。
でも、そんなにメガネって特別な装具ですか???
この担任のK先生。御年ツキヒメより2つ上。
けして新米ではなく、むしろ保育園の中ではベテラングループに属しており、
園長先生の実娘だったりします(^^;)
殿下も年中、年長とお世話になり、ツキヒメとの付き合いは3年目。
殿下との相性もよく、去年、一昨年とまったくストレスない関係を築いてきてたのですが
どうも姫君とは相性がイマイチ(?)でして、今年に入ってツキヒメの方もだんだんK先生に対して
「?」な部分が増えてきていました。
そんなところに、さらにこう言われて、ますます気持ちが離れていくのを感じました。
「すみません、ご迷惑をおかけします。」と話しながらも、
今まで何にもなかったのに、なんだか一気に自分の娘が「手のかかる子」の烙印を
押されたような気がして、すごく悲しい気持ちになりました。
「とにかく、(メガネを固定する)バンドを・・・、すぐにバンドを用意してください!」とK先生。
※バンドってこういうのです→★
いや、すぐに買いに行けといわれても、こっちも仕事もあるし週末まで待って・・・という気持ちあり
翌日メガネだけで登園させたら、「お母さん、姫ちゃんバンドをしてませんね。
お願いしますと、昨日お話しましたよね!」と朝から職場にまで電話がかかってくる始末。
その日お迎えに行った時も、「運動会の練習をさせる時も(そのころ練習が大詰めでした)
やっぱり見ててハラハラするんですよね。練習の時間は外させてもらっていいですか?」だとか。
「いや、バンドは至急探してきますが、メガネを外していいかどうかは病院の方にも確認を
取らせてください。」と食い下がりつつも、「これってやっぱ個人のワガママなのか。集団生活を
送らせるには、我慢も必要なのか・・・」とちょっと弱気に・・・。
いや、姫君には最善の、そして最短の治療をさせねばーーー!
「バンドは今、在庫がなくて・・・」とか「子どものメガネは耳にかける部分も、鼻にあたる部分も
工夫されているので、バンドにこだわらなくても少々の運動は大丈夫ですよ。」とメガネやさんに
言われつつも、バンドを持たせないと、先生が姫君にチクチク小言を言いやしないかと
妙な強迫観念が頭を回り、店をハシゴし、病院にも相談し・・・
なんかヨレヨレ~になってしまったツキヒメでした。
病院で、姫君を担当してくれている視能訓練士さんからは「いや、極力メガネで過ごす時間は
作ってあげてください。何でしたら、私から保育園の先生に話してみましょうか?」と言ってもらい
すごくありがたく感じつつも、これは切り札で取っといた方がいいと考え、「もう一度私から
先生には話してみます。バンド装着で園生活が軌道にのってきたら、先生も少しは慣れてくるかも
しれませんし・・・。」と丁重に断り、再度担任の先生に切々と事情を話し、何とか理解して(???)
もらいました。
保育園の他の先生やクラスの友達からは「姫ちゃん、ピンクのメガネがキュートですね。」
「似合ってますね、かわいい」と言ってもらい、姫君本人は「○○ちゃんからかわいいって言われた~」と
にこやかにメガネでの登園を続けてくれることが救いでした。
でも、K先生に対する猜疑心は消えたわけではなく、
こどもたちに悟られないように、K先生に対する愚痴を、ダンナにブツブツ言う日々が続きました。
そんなある日・・・
(つづく)
またまた備忘録(9月~弱視編) [いとしの殿下&姫君]
小さな頃から、姫君の目については一抹の不安がありました。
殿下の時には全く感じなかったのですが、姫君はどうも片目が内側に寄っているのではないか?
ひょっとして斜視なのでは?
子どもを育てていくなかで「?」があると、やはりずっと気になるもので、
姫君を眼科に連れて行ったのが2歳の時。
しかしその場では何の指摘もなく、幼すぎて視力検査もできずに
「家で練習して出直しな。」みたいなことを言われ「C」の書いてある紙を渡されただけでした。
そして3歳。3歳児検診。
この時も目についての指摘事項はなく、斜視についても「子どもはまだ鼻が低くて斜視っぽく
見えるお子さんも多いですが、成長すると気にならなくなりますよ。」と言われ、視力についても
「いま成長中。まだまだこれから伸びていきますよ。」との話だけでした。
そして4歳。
4歳の誕生日前後ぐらいから、やたらとまぶしがるようになりました。
日中エンジンがかかっているときはそうでもなかったのですが、とにかく寝起きがぐずがりました。
朝起きて寝室から出ると、廊下がまぶしいといって泣く姫君に、泣きまで出るとはやはりおかしい???と
「?」の数は増えるばかりで、2歳に行った眼科とは違う眼科に連れて行ってみました。
しかしそれでも3歳児検診とはまったく同じことを言われました。
3か所から同じようなことを言われると、さすがに「そんなもんかいな。」とツキヒメも思い、
テレビをすぐ前の方で見たがる姫君に「離れてみなさいよ~」と注意する日々が続きました。
そしてその半年後、8月下旬のとある休日。
姫君は、ダンナのお母さんと一緒に近所のメガネやさんに行きました。
目的は義母の老眼鏡の作りかえだったのですが、たまたまそこの店員さんが「おじょうちゃんも
検査してみましょうか?」と言ってくれ、調べてもらったところ、「右目は大丈夫だが、左目が乱視が
ひどい。一度きちんと眼科で検査した方がいいですよ。」と言われました。
あわてて(当然、最初の2か所とは違う)病院で検査を受けさせたところ、
斜視の心配はない。ただ左目は弱視+強度の乱視であること、通常子どもの視力は7歳くらいまで
どんどん成長していってるが、この子の左目は成長が止まっている。すぐ治療を始めないと、
左目の視力は一生育たないと診断されました。
「成長が止まってる」とか「一生」とかいう言葉を言われると動揺するんですけど・・・
「サ」となっているツキヒメに「大丈夫。お母さん。姫ちゃんはまだ4歳半。
早くはないですが、けして手遅れではありませんよ。今から治療すれば間に合いますよ。」と先生。
「治療としては、まずメガネです。お母さんはお子さんにメガネをかけさせることに抵抗がありますか?」
てーこーもなにも、一日も早く治療を始めますよおおお
(聞けば、やはり見た目を気にして、子どものメガネに難色を示す母親もいるらしい。
そうなの???理解できないが・・・)
病院から帰るその足で、メガネやさん直行!
でも、おもちゃを選んでるような顔でメガネを選ぶ娘の姿を見ていると、なんだか泣けてきました。
たとえ治療で視力が回復したとしても、それは裸眼ではなくあくまで矯正視力であること。
乱視自体は一生治らない、生涯メガネかコンタクトをはめていくことになる、という視能訓練士さんの
言葉が頭をくるくる回りました。
ツキヒメも強度の近視で、その他にも違う目の病気を経験しているので、おそらくずっとメガネ人生を
送るだろうけど、でも4歳の時点でそう言われちゃうと、なんだかかわいそうでかわいそうで・・・
家に戻ってからも、夜ずっとそのテのHPばっかし見てました。
そんななか、心に響いたことば。
「今日、大切な我が子が弱視と分かり、途方に暮れているご両親。
明日でなく、今日、弱視が分かったことを喜びましょう。
これからの人生の中で、一番若い「今日」という日に。
今日が、あなたのお子さんの目の、誕生日なのです。(あいぱっちくらぶHPより)」
なんかね、「そう、そう、そうだよねえ。」と前向きな気分になりました
(いやあ、言葉の力ってすごいなあ)
幸い姫君は嫌がることなく毎日メガネをかけて過ごしています。
最初に出来上がった時も、かけて喜んでいました。
その喜ぶ姿を見て、「あーやっぱり今までよく見えていなかったんだ。不便な生活をしていたんだ。
きつかったよね~。」と娘に対して申し訳ない気持ちになりました。
と同時に、最初行った2か所の病院に対して、怒りがフツフツと…
これで「手遅れです。」なんて言われたら、どう責任とってくれるっっ
やはり、自分が納得するまで、何か所でも病院には行く必要があると痛感しました。
そして、あの時「おじょうちゃんも~」と声をかけてくれた店員さんに感謝感謝です
☆☆☆☆☆
最初の診断から2か月たちました。
月一回の検査では、少しずつ視力の回復が見られホッとしてます。
メガネだけでなく「アイパッチ」(いい方の目を隠して、悪い方の目を鍛える治療)の可能性も
話されはしましたが、今のところ、このままで治療を続けましょうと言われています。
うっとしいかもしれないけど、ガンバレ姫君
姫君のメガネの件は、まだ余談があるのですが、それは次回へ・・・。
殿下の時には全く感じなかったのですが、姫君はどうも片目が内側に寄っているのではないか?
ひょっとして斜視なのでは?
子どもを育てていくなかで「?」があると、やはりずっと気になるもので、
姫君を眼科に連れて行ったのが2歳の時。
しかしその場では何の指摘もなく、幼すぎて視力検査もできずに
「家で練習して出直しな。」みたいなことを言われ「C」の書いてある紙を渡されただけでした。
そして3歳。3歳児検診。
この時も目についての指摘事項はなく、斜視についても「子どもはまだ鼻が低くて斜視っぽく
見えるお子さんも多いですが、成長すると気にならなくなりますよ。」と言われ、視力についても
「いま成長中。まだまだこれから伸びていきますよ。」との話だけでした。
そして4歳。
4歳の誕生日前後ぐらいから、やたらとまぶしがるようになりました。
日中エンジンがかかっているときはそうでもなかったのですが、とにかく寝起きがぐずがりました。
朝起きて寝室から出ると、廊下がまぶしいといって泣く姫君に、泣きまで出るとはやはりおかしい???と
「?」の数は増えるばかりで、2歳に行った眼科とは違う眼科に連れて行ってみました。
しかしそれでも3歳児検診とはまったく同じことを言われました。
3か所から同じようなことを言われると、さすがに「そんなもんかいな。」とツキヒメも思い、
テレビをすぐ前の方で見たがる姫君に「離れてみなさいよ~」と注意する日々が続きました。
そしてその半年後、8月下旬のとある休日。
姫君は、ダンナのお母さんと一緒に近所のメガネやさんに行きました。
目的は義母の老眼鏡の作りかえだったのですが、たまたまそこの店員さんが「おじょうちゃんも
検査してみましょうか?」と言ってくれ、調べてもらったところ、「右目は大丈夫だが、左目が乱視が
ひどい。一度きちんと眼科で検査した方がいいですよ。」と言われました。
あわてて(当然、最初の2か所とは違う)病院で検査を受けさせたところ、
斜視の心配はない。ただ左目は弱視+強度の乱視であること、通常子どもの視力は7歳くらいまで
どんどん成長していってるが、この子の左目は成長が止まっている。すぐ治療を始めないと、
左目の視力は一生育たないと診断されました。
「成長が止まってる」とか「一生」とかいう言葉を言われると動揺するんですけど・・・
「サ」となっているツキヒメに「大丈夫。お母さん。姫ちゃんはまだ4歳半。
早くはないですが、けして手遅れではありませんよ。今から治療すれば間に合いますよ。」と先生。
「治療としては、まずメガネです。お母さんはお子さんにメガネをかけさせることに抵抗がありますか?」
てーこーもなにも、一日も早く治療を始めますよおおお
(聞けば、やはり見た目を気にして、子どものメガネに難色を示す母親もいるらしい。
そうなの???理解できないが・・・)
病院から帰るその足で、メガネやさん直行!
でも、おもちゃを選んでるような顔でメガネを選ぶ娘の姿を見ていると、なんだか泣けてきました。
たとえ治療で視力が回復したとしても、それは裸眼ではなくあくまで矯正視力であること。
乱視自体は一生治らない、生涯メガネかコンタクトをはめていくことになる、という視能訓練士さんの
言葉が頭をくるくる回りました。
ツキヒメも強度の近視で、その他にも違う目の病気を経験しているので、おそらくずっとメガネ人生を
送るだろうけど、でも4歳の時点でそう言われちゃうと、なんだかかわいそうでかわいそうで・・・
家に戻ってからも、夜ずっとそのテのHPばっかし見てました。
そんななか、心に響いたことば。
「今日、大切な我が子が弱視と分かり、途方に暮れているご両親。
明日でなく、今日、弱視が分かったことを喜びましょう。
これからの人生の中で、一番若い「今日」という日に。
今日が、あなたのお子さんの目の、誕生日なのです。(あいぱっちくらぶHPより)」
なんかね、「そう、そう、そうだよねえ。」と前向きな気分になりました
(いやあ、言葉の力ってすごいなあ)
幸い姫君は嫌がることなく毎日メガネをかけて過ごしています。
最初に出来上がった時も、かけて喜んでいました。
その喜ぶ姿を見て、「あーやっぱり今までよく見えていなかったんだ。不便な生活をしていたんだ。
きつかったよね~。」と娘に対して申し訳ない気持ちになりました。
と同時に、最初行った2か所の病院に対して、怒りがフツフツと…
これで「手遅れです。」なんて言われたら、どう責任とってくれるっっ
やはり、自分が納得するまで、何か所でも病院には行く必要があると痛感しました。
そして、あの時「おじょうちゃんも~」と声をかけてくれた店員さんに感謝感謝です
☆☆☆☆☆
最初の診断から2か月たちました。
月一回の検査では、少しずつ視力の回復が見られホッとしてます。
メガネだけでなく「アイパッチ」(いい方の目を隠して、悪い方の目を鍛える治療)の可能性も
話されはしましたが、今のところ、このままで治療を続けましょうと言われています。
うっとしいかもしれないけど、ガンバレ姫君
姫君のメガネの件は、まだ余談があるのですが、それは次回へ・・・。
またまた備忘録(8月~グアム編) [おでかけ]
8月。
何が子供会行事で、何が地域活動で、何がPTA活動かよく分からないけど
行事ごとの多いせわしい月でした。
義父の初盆なんかもあり、久しぶりに義妹サマーちゃん一家もやってきたし
保育園児の姫君は、毎日黙々と保育園に通ってくれましたが、小学生の殿下は楽しい夏休み。
40日間、みっちりと学童保育園で過ごしていました。(母も、みっちりと弁当を作りました)
学童では、毎日毎日校庭で虫取り網を振り回す日々だった殿下。
(小学校の敷地内に併設されている学童なのです。)
真っ黒に日焼けもし、実に健康的な生活を送りました。
毎日毎日セミやらバッタやらが捕まえられ、玄関わきに置かれていました。
(夜には庭に放しました。まさにキャッチ&リリース。)
でも、でも、夏休みだもの。
母だって、母だって
というわけで(どういうわけだ?)、母、夏休み3日間すべてをはたいて・・・
飛んじゃえ~
飛んだはいいが、飛行中ずっとずっとずっと大揺れしっぱなしで、寿命の縮む思いで
やってきたはグアム
おお、青い海、青い空・・・・じゃなかった
今回の旅行も雨(今年の旅行はホントに雨にたたられます)
天候の悪さと下調べ不足とで、ツキヒメとしては、やや不完全燃焼感が否めませんでしたが、
グアムという島、ここは日本かい??って思うほど、いたるところに日本語案内が・・・。
すごく気楽に行ける外国だなあと感じました。
ホントはもっと青々なはず。
でも、きれいでした。(波は高かった。)
イルカ遭遇率の高さの宣伝文句に期待を膨らませて参加したイルカウォッチング。
でも海は荒れててイルカには会えず
大揺れに揺れるボートに、脱落者続出。
「ヘーイ、ゲロゲロツアーね。」と船の中で苦笑いのガイドのおっちゃん。
グアムのメインストリート。
円高で、少々財布のヒモは緩みがち
滞在中、移動手段として乗りまくったシャトルバス。
日本人がぎっしりです
子ども(とダンナ)が一番喜んだ、ターザウォーターパーク。
泊まったホテルはニッコーグアム。
立地条件のよさが挙げられていたアウトリガーグアムリゾートは取れなかったのと、
海外旅行に行くくせに、今回の旅行は自分の中でなんとなく勢いがなくて
守りの姿勢から日系のホテルを選びました。
スタッフも愛想がよくて、普通にリゾートホテルって感じで全く問題なしでした
ファミリー連れに向いているかも
でも、でもね、
やっぱり日本人です
帰りの空港の待ち時間に、全員一致で選んだ朝ごはんは「おにぎり」でした
何が子供会行事で、何が地域活動で、何がPTA活動かよく分からないけど
行事ごとの多いせわしい月でした。
義父の初盆なんかもあり、久しぶりに義妹サマーちゃん一家もやってきたし
保育園児の姫君は、毎日黙々と保育園に通ってくれましたが、小学生の殿下は楽しい夏休み。
40日間、みっちりと学童保育園で過ごしていました。(母も、みっちりと弁当を作りました)
学童では、毎日毎日校庭で虫取り網を振り回す日々だった殿下。
(小学校の敷地内に併設されている学童なのです。)
真っ黒に日焼けもし、実に健康的な生活を送りました。
毎日毎日セミやらバッタやらが捕まえられ、玄関わきに置かれていました。
(夜には庭に放しました。まさにキャッチ&リリース。)
でも、でも、夏休みだもの。
母だって、母だって
というわけで(どういうわけだ?)、母、夏休み3日間すべてをはたいて・・・
飛んじゃえ~
飛んだはいいが、飛行中ずっとずっとずっと大揺れしっぱなしで、寿命の縮む思いで
やってきたはグアム
おお、青い海、青い空・・・・じゃなかった
今回の旅行も雨(今年の旅行はホントに雨にたたられます)
天候の悪さと下調べ不足とで、ツキヒメとしては、やや不完全燃焼感が否めませんでしたが、
グアムという島、ここは日本かい??って思うほど、いたるところに日本語案内が・・・。
すごく気楽に行ける外国だなあと感じました。
ホントはもっと青々なはず。
でも、きれいでした。(波は高かった。)
イルカ遭遇率の高さの宣伝文句に期待を膨らませて参加したイルカウォッチング。
でも海は荒れててイルカには会えず
大揺れに揺れるボートに、脱落者続出。
「ヘーイ、ゲロゲロツアーね。」と船の中で苦笑いのガイドのおっちゃん。
グアムのメインストリート。
円高で、少々財布のヒモは緩みがち
滞在中、移動手段として乗りまくったシャトルバス。
日本人がぎっしりです
子ども(とダンナ)が一番喜んだ、ターザウォーターパーク。
泊まったホテルはニッコーグアム。
立地条件のよさが挙げられていたアウトリガーグアムリゾートは取れなかったのと、
海外旅行に行くくせに、今回の旅行は自分の中でなんとなく勢いがなくて
守りの姿勢から日系のホテルを選びました。
スタッフも愛想がよくて、普通にリゾートホテルって感じで全く問題なしでした
ファミリー連れに向いているかも
でも、でもね、
やっぱり日本人です
帰りの空港の待ち時間に、全員一致で選んだ朝ごはんは「おにぎり」でした
またまた備忘録(7月~北九州平尾台編) [おでかけ]
7月は上中旬はずっとPTAのお仕事に振り回されました
新聞の発行前で、編集やら校正やら印刷やら。
発行回数としては年に3回なので、けして多いほうではないとは思うのですが、
なにしろ初めてのことばかりで段取りが手探りで、精神的にくたびれました
でも発行を終える頃には広報委員の他のお母さんたちとも距離は縮まり、
けっこう仲良く話せるようになりました
まあ、PTAはさておき・・・
H23.7下旬
昨年軍艦島に行ったメンバーで、今年は北九州市平尾台下にある「千仏鍾乳洞」に出かけました
なにせ前回が軍艦島というメンバー。
およそ女子のドライブという華やいだ内容ではなく、「探検」そのものなスポットでございました
盛夏。ものすごい暑さ。
見た目は涼しそうな(でも暑い)竹林を降りて行くと…
ありました。
さあ、出発~
さすが鍾乳洞。中はひんやり。天然クーラーがすごく気持ちいいです
でも、ここ、ただの鍾乳洞ではありません。
「・・・!!!」
そう、途中で、洞窟内を照らす照明がなくなるんです。撮影不可能っ
一応照明なしということは事前に調べてたので、持参した懐中電灯を頼りにさらに奥へ進みます。
水かさも増し、水の高さもひざまでが、腰までとなり・・・
「た、隊長(誰が?)っ!これ以上は無理っス!!!」 ……(降参)
ホントは一番奥まで…を狙っていったのですが、天井の低さからの圧迫感と腰までじゃぶじゃぶの
水の冷たさから、たまらず途中でリタイア。
ああ、無念。でも、ベストは尽くしました(笑)
洞窟から外に出てきた時の、お日様のまぶしいこと。
ああ、明るいって素晴らしい…(笑)
地上の平尾台風景。気持ちいい風が吹いてました。
でも「探検」で、おなかすいた・・・(笑)
30分ほど車を走らせ、着いた先は若松レトロ地区。
ま~た、こんなんところ
「こんなんビルに、我々の食事処があるのかね?」的な視線を皆から受けつつ、
言い出しっぺのツキヒメもおそるおそる中に入ってみると・・・
ほ、ほらねっ。(よかった、あった)
「Asa cafe」。かわいいお店でした。雑貨カタログからそのまま飛び出してきたようなお店。
やっと女子会らしくなりました(笑)
お店もさることながら、このレトロな建物全体が、ツキヒメ的にツボでございました。
建物の中央部分が天井まで吹き抜けで、天井にステンドガラスが。
これがまた、いい感じに光ってます。
なんかぜいたくなつくりだなあ・・・と思いました。
店を出て、ホントは若松レトロ地区を散策・・・なーんてのもよかったのでしょうが、
今日は時間切れ。
こんどまたゆっくり訪れたいと思います
夕方には広報委員のメンバーでの新聞発行の打ち上げの飲み会が入っており、
バタバタととんぼがえり。
(まーたPTAかいっ(みんなゴメンね)
せわしい休日でしたが、結構楽しめました
新聞の発行前で、編集やら校正やら印刷やら。
発行回数としては年に3回なので、けして多いほうではないとは思うのですが、
なにしろ初めてのことばかりで段取りが手探りで、精神的にくたびれました
でも発行を終える頃には広報委員の他のお母さんたちとも距離は縮まり、
けっこう仲良く話せるようになりました
まあ、PTAはさておき・・・
H23.7下旬
昨年軍艦島に行ったメンバーで、今年は北九州市平尾台下にある「千仏鍾乳洞」に出かけました
なにせ前回が軍艦島というメンバー。
およそ女子のドライブという華やいだ内容ではなく、「探検」そのものなスポットでございました
盛夏。ものすごい暑さ。
見た目は涼しそうな(でも暑い)竹林を降りて行くと…
ありました。
さあ、出発~
さすが鍾乳洞。中はひんやり。天然クーラーがすごく気持ちいいです
でも、ここ、ただの鍾乳洞ではありません。
「・・・!!!」
そう、途中で、洞窟内を照らす照明がなくなるんです。撮影不可能っ
一応照明なしということは事前に調べてたので、持参した懐中電灯を頼りにさらに奥へ進みます。
水かさも増し、水の高さもひざまでが、腰までとなり・・・
「た、隊長(誰が?)っ!これ以上は無理っス!!!」 ……(降参)
ホントは一番奥まで…を狙っていったのですが、天井の低さからの圧迫感と腰までじゃぶじゃぶの
水の冷たさから、たまらず途中でリタイア。
ああ、無念。でも、ベストは尽くしました(笑)
洞窟から外に出てきた時の、お日様のまぶしいこと。
ああ、明るいって素晴らしい…(笑)
地上の平尾台風景。気持ちいい風が吹いてました。
でも「探検」で、おなかすいた・・・(笑)
30分ほど車を走らせ、着いた先は若松レトロ地区。
ま~た、こんなんところ
「こんなんビルに、我々の食事処があるのかね?」的な視線を皆から受けつつ、
言い出しっぺのツキヒメもおそるおそる中に入ってみると・・・
ほ、ほらねっ。(よかった、あった)
「Asa cafe」。かわいいお店でした。雑貨カタログからそのまま飛び出してきたようなお店。
やっと女子会らしくなりました(笑)
お店もさることながら、このレトロな建物全体が、ツキヒメ的にツボでございました。
建物の中央部分が天井まで吹き抜けで、天井にステンドガラスが。
これがまた、いい感じに光ってます。
なんかぜいたくなつくりだなあ・・・と思いました。
店を出て、ホントは若松レトロ地区を散策・・・なーんてのもよかったのでしょうが、
今日は時間切れ。
こんどまたゆっくり訪れたいと思います
夕方には広報委員のメンバーでの新聞発行の打ち上げの飲み会が入っており、
バタバタととんぼがえり。
(まーたPTAかいっ(みんなゴメンね)
せわしい休日でしたが、結構楽しめました